写真つれづれ bP17


      東日本大震災後の南相馬市へ
          2011.4.13

福島第一原発事故後 陸の孤島と化してゆく南相馬から救援を求める桜井市長の悲痛な声を何度かNHKニュースで耳にしました。ボランティアの一員として震災から一ヶ月経た南相馬へ行ってきました。思っていた以上(特に自宅で避難生活を続ける方々)に食料・生活物資が不足しているように見えました。

  SOS from Mayor of Minami Soma City, next to the crippled Fukushima nuclear power plant, Japan   

米タイム誌「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれるきっかけになった桜井市長の英語字幕付きビデオメッセージです。先進技術国日本の政府が自国民の安全安心を守れないことが世界の人々に衝撃を与え、アクセスは4月末現在で40数万に上っているそうです。写真をクリックするとYouTubeに移ります。

       海は見えません。なのに、船が。。。

国道六号線すぐ傍の所に、落葉が吹きだまるように7〜8艘の漁船が流れ着いていました。海まで数キロあると言うのに。

          絶句

テレビ等で何度も見ていたつもりでも想像を絶する状況に一同言葉を失いました。数メートル高いところにある市役所(一番上の写真)やJR原ノ町駅付近は津波の片りんも感じないのに。

          遺留品

小屋に泥を被ったアルバムや人形などが集められていましたが、探す人影はありませんでした。成人式らしい晴れ着姿の写真や赤ちゃんを抱いた家族の写真が持ち主の手に戻ることはあるのでしょうか。

         立ち入り禁止区域

白い防護服に身を固めた警察官を乗せた車両が何台も入って行きました。不明者の捜索か? まだ1000名以上の行方が分かっていないそうです。自然に頭が下がりました。

          2トントラックに満載

船や自宅に置いた多額の蓄えを津波で流された方も少なくないそうです。避難所には届く救援物資や食糧が、なぜか自宅退避者には回らないとのこと。義捐金や仮払い保証金が手元に届くまでにはまだ時間が掛かりそうです。窮状を知った有志が自宅で暮らす被災者の方々に物資を届けることになりました。

          段ボール280個余り

食料品、生活用品、衣料品等々。段ボールの多くには中身の説明のほかに、送り主からの心温まるメッセージが書いてありました。他にも炊き出しの材料や交通費の応援などなど。復興には相当の年月が掛かるため、息の長い支援が必要と強く感じました。

           プロの豚汁

醤油を入れて、豚肉を炒めて、だしを入れて、アクを取って、ねぎを入れて、2種類の味噌で味付け。居酒屋の大将の指導のもと、みんなで作った豚汁は絶品。避難所のおじさんの「こんな美味しい豚汁は生まれて初めて」もお世辞ではないと思う。おいしいものはひとときでもみんなを笑顔にしてくれますね。
前号へ 次号へ ・米タイム誌「世界でもっとも影響力のある100人」に日本から選ばれたもう一人が、震災直後巨大津波が押し寄せる南三陸町の病院で最後の患者が救出されるまで治療を続けた菅野医師でした。ちなみに100名は英ウィリアム王子夫妻、米オバマ大統領夫妻、北朝鮮金正恩氏(総書記三男)などで順位はないそうです。菅野医師へのインタビュー記事はこちらです。
・南相馬市長のビデオメッセージと同時期にUPされた相馬市(南相馬市の北隣)立谷市長のメルマガ248ろう城はこちらです。

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